青森県八戸市の測量会社・アトラス測量
測量業者登録 第(1)-29176号
測量設計・測量業務のアトラス測量
青森県八戸市根城五丁目12番26号(裁判所前)
アトラス測量TEL:0178-44-0333
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硫黄島の戦い 生還者を取材
2007年08月25日(土)

今年に入り硫黄島の戦いがクローズアップされてきた。以前よりお得意様の会長さんが、青森県内でも数少ない硫黄島生還者と聞いていたので
機会があればお話を伺いたいと申し入れていた。丁度忘れかけていた矢先、会長の息子さんから電話があり、食事をとりながら話をきかないかと持ちかけられ、伺うことにした。対面すると正座されているのだが、背筋が伸びていて、とても88才に見えない若々しい方である。私は手帳にメモをとりながら、ゆっくりとした語り口からこぼれる貴重な証言を、一つももらさないように書き留めていく。約4時間の取材であったが、会長は食事の時間ももったいないような素振りで、家族の方が気を使って休憩を入れなければ、4時間しゃべり続けるぐらいの気迫があった。私の質問にも、きっちと答えてくれて、あまりの記憶の鮮明さに驚くばかりであった。4時間では、あまりに過酷な戦争を語るのに、時間が足りないので、後日改めて伺うことにした。

会長は戦争も大変だったが、神奈川の鬼の砲術学校の訓練のほうが大変過酷だったと語っていた。それでも、学校中2番の優秀な成績で卒業されたそうだ。会長は硫黄島に大砲を扱う兵隊として送られたそうである。しかし、大砲が破壊され任務が無くなったので、遭難船の引き上げや救助のため、北硫黄島に送られた。これが生死の運命を分けることになる。会長は小さく防御もままならない島に送られることが、非常に心細く心配であったようだ。島につくとアメリカ軍が容赦なく爆弾を朝昼晩と落としてくる。しかし、幸い上陸しなかった。遭難船から引き上げた大量の爆弾を保管していたのだが、アメリカの爆弾が保管している爆弾を直撃し、しばらくの間爆発がとまらなっかたことが幸いしたようである。アメリカ軍は、島に相当爆弾が残っていると、勘違いし上陸を断念した。
硫黄島のように日本兵を上回る2万5千人近くの戦死者を出していたので、無理して上陸して制圧することを諦めたそうである。このことが、太平洋戦争史上最も過酷な激戦地から、奇跡的に生還した理由である。
写真は、命を繋いだ水筒である。幸い北硫黄島は湧き水があり、この水筒を離すことなく常に傍らに置いていたそうである。表には漢字で栗と書いてある。栗林中将率いる栗林兵団所属の水筒だそうだ。その他は新聞の切り抜きや、北硫黄島で戦った仲間の集合写真。すり鉢山の形が崩れるほど激しい爆撃の嵐を落とした後、アメリカ海軍の舟艇が不気味な波を立てて上陸する様子を取った写真など見せてもらった。どの資料も重みがありすぎて、無口になる。特に、アメリカ軍の大量の舟艇が進む写真は強烈だった。あの小さな島の暑苦しい壕に隠れて、上陸を待つ日本兵の気持ちを考えると、胸が張り裂けそうな気持ちになった。たった、5日で制圧する予定が、36日間の激闘を繰り広げることになる。栗林中将以下、東京へのB−29の空襲を避けたい。日本兵は、この一心で団結し戦ったのである。

写真は帰り際、会長と握手する取材者です。小さな体で50kgの砲弾を担ぎ上げていたのだから、感服する。今でも体を鍛えるため、会社には歩いて通われているそうである。会長にはいつまでも元気に暮らして欲しいです。帰り際、会長と息子さんから、取材を重ねて是非体験記を文章で残してくれないかと頼まれた。私の文章ではと思ったが、挑戦してみようと思う。折角八戸二に、奇跡的に生還した方がまだ健在でおられるのだから、次世代に語り継ぐ使命を持って望みたい。


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